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篠原涼子の黒歴史の秘密? 東京パフォーマンスドールとは

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ドラマ「ラスト・シンデレラ」で、三十路女を熱演した篠原涼子ですが

もともとは、歌手であったことを知っている人も少なくなってきたのでは?

歌手のころを知っているとしても

「愛しさと切なさと心強さと」から位ではないでしょうか?

この時には、小室ファミリーに入って、一気にメジャーに

なったのですが、実際には、非常に下積みがあったんですよ


今となっては伝説的なお笑い番組だった

「ダウンタウンの ごっつええ感じ」

完全にいじられキャラで、今でいうおバカキャラでしたが

このころはまだ、東京パフォーマンスドールに所属していたはず?


この東京パフォーマンスドール時代をあまり語りませんが

もともと、主要メンバーの3人であり、かなり初期から頑張っていました

この3名はゴルビーズというユニット名で、映画の主題歌も歌ったのですが

まったく鳴かず飛ばず(笑)


その後にメンバーも増えて、その中には、「EAST END +YURI」

の市井由理やプロゴルファー横田真一と結婚した穴井夕子

などもいます


メンバーも増えて、1軍2軍と別れていた時もあり

このころ、年間で300回以上のライブを、原宿のルイードで

行っていました


まあ、メンバーも増えれば、女性ばっかりなので、いろいろとあったようで

そりゃ陰湿だったり・・・

あと、ダンスの先生が中村龍史先生(筋肉ミュージカルの最初の振付師)で

メンバーの中に深い関係の人がいたとか・・・

まあ、そんなことは、許容範囲なんですけどね


パフォーマンスドール時代に、すでに武道館での公演もしていますし

日テレの番組で冠の番組も持っていたくらいには

知名度が出ていたのですが、AKB同様にぽつぽつと卒業し

あまり知名度および人気のないメンバーが1軍になったくらいから

失速して、あまりメジャーシーンに出なくなってしまいました


涼子自身は、パフォーマンスドール時代からも

ソロで動くことがあり、ミュージカルのコマーシャルで

起用されたりもしていました


もともとは、群馬は桐生のヤンキー(笑)などと言われていた

事もありますが、この辺は同郷である中山秀征氏の

ご愛嬌での発言でもあります


今となっては、2児の母親ですが、高校卒業くらいから

芸能界どっぷりの人ですので、いろいろと大変だと思います

ただ、状況によって、自分の立ち位置を器用にシフトしてきた

彼女ですので、これからも女優として、歌手として

活躍を期待します


そして、2013年になり、東京パフォーマンスドールが復活

涼子は初期メンバーとして、新生パードルにエールを送ったそうです

今でも、パフォーマンスドール時代は、篠原涼子にとっては大事な

思い出のようですね


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