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二・二六事件 分かりやすくしてみた

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1936年(昭和11年)2月26日から29日にかけて

起こったクーデター未遂事件です

2014年も記録的な大雪が降っていましたが、この時も30年ぶりの

大雪が東京を覆っていたそうです

 

歴史の教科書でしか知らない事ですが、まだこの事件が起こってから

100年も経っていません

意外に比較的最近、日本でもクーデターが起こっていたことに

驚きなのですが、分かりやすく、少し勉強をしてみましょう

 

2月26日の未明、陸軍の青年将校約1400名によって

都内の要人の襲撃や、いくつかの建物の占拠を行いました

最終的に、下位の兵に関しては元の隊に復帰させて、将校たちは

自決をしたり、投稿して法廷での闘争を行いました

 

ちなみに、事件を起こした主要な将校たちですが

安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明

丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次など

 

思想的な中心は北一輝、彼の記した「日本改造法案大綱」の内容が

影響を与えています

 

このクーデターが起こった理由ですが、いくつかあり

「討奸」「君側の奸」などの部分、つまり天皇の命令を曲げて伝えたり

天皇の名前を使って悪い政治をする奴らは許せん、という事

 

そして、その政治に癒着する、経済界なども許せんというものです

この辺は、ここまで過激ではないでしょうが、今の時代でも

同じような事を感じている人はいるのでは・・・

 

そして、もう1つ

実は陸軍内部での派閥争いの側面を持っていました

その派閥は

「皇道派」天皇による親政を望み、その為には武力を持ってしても

それを邪魔するものたちを排除すべき

 

「統制派」合法的に政府に圧力をかけ自分たちの望む政治体制を実現させよう

というものです

 

実際のクーデターとしては、失敗に終わっているのですが

総理大臣官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞などを占拠し

内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣

渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃

 

実際に、松尾伝蔵、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎などは死亡し

また、選挙した建物を守っていた警察官たち数名も殉職しています

2.26事件を起したのは皇道派で、事件後に天皇の命により

統制派をはじめとする軍部により、この皇道派は一掃されます

 

これ以降、天皇は「君臨すれど統治せず」となっていき、少なからず

軍のパワーが強くなっていったことは、歴史の事実からも

分かると思います




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